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お正月に実家に帰省したときのこと。
親族で集まっているとき、
従弟のお嫁さんから、
「息子(小学3年生)が、学習障害かもしれないと言われて。今度、検査を受けるんです。」
と話してくれました。

従弟夫婦の息子ちゃん、Kくん。
小さな頃から好奇心旺盛、とても賢くて、おしゃべり上手。
学校でも、
気づいたことを授業中にドンドン話し始めちゃって、
先生いわく、「授業の邪魔をしている」。
1年生のころからずーっと、担任の先生に嫌われてしまって、
従弟夫婦はしょっちゅう、
学校に呼び出されているそうです。

ママさんも、周りに謝るのに疲れてしまって、
子どもを連れて外に出るのが億劫だそう。
5歳違いの妹ちゃんのことを、
「娘の方は本当にいい子で、育てるのが楽なんです。」
と。

Kくんのこと、可愛くないわけではない。
でも、周りに責められ、気を使い、
外に出したくないと思ってしまっています。

「学習障害と判定されたらいいな。
そしたら、どんなふうに育てたらいいのか、教えてもらえるかもしれないから。」
と。

私には、そんなママさんのお話を聴くしかできませんでした。

主人とその話をしたとき、主人が言ったこと。

「”学習障害”って、大人目線な言い方だよね。
子どもに合った教育を提供できていないわけだから、
学習障害ではなく、”教育障害”だとおもうよ。」


この人はすごいなあと、改めて思いました。

そうですよね。
先生にとって、大人にとって都合が良い子を育てるのが教育ではない。
その子の能力を引き出せるようにするのが、教育。
Kくんの場合、知りたいことがたくさんあるから先生に聞いているのに、
それが先生の授業のスムーズな進行に邪魔になるからと、
嫌われてしまう。

でもこれ、現場の先生の責任だけではないと思います。
余裕がない学校の状態が一番の問題。
足並みそろえての学習計画。
誰のためだかわからない、研究発表とその準備。
子ども全員を同じレベルにするような、規格教育。
優秀なサラリーマンを生み出すための、教育。

優秀なサラリーマン教育で優秀な成績だった教育委員会のメンバーが考える、教育カリキュラムですもの。
そのまんま、自分たちのコピーを作るようなもの。
それに合わせなければいけない、若い先生たちもお気の毒です。

私の子どもたちが通っていた小学校。
通常学級になじめなかった”学習障害”の子が、
支援学級で学び始めてみるみる変わっていくのを目の当たりにしていました。
少人数で手厚い指導というのもありますが、
なにより支援学級の先生がたの、
子どもたちに自信をつけさせるような指導が素晴らしかったです。
ただ、支援学級で学ぶには保護者の同意が必要で、
これがとても難しい。
通常学級で学び続けて辛い思いをしている子どもも。

いろいろな学び方を、子ども自信が選びやすい環境になればいいな。
そう思います。